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まーちゃんの生い立ちと経歴【小学校~中学校編】

こんにちは。

本来なら一番最初に、私のことについて記事にすべきところ、何故か先走ってダイエット関連のことから書き始めてしまったので、今日こそは🔥と、自己紹介記事を書きたいと思います。

普段こいつ何してんの?と思われているでしょうが、私はパーソナルトレーナーとして活動しています。(知っているよ!と言わずに、、、。)

私は(相模国)の田舎で生まれ育ちました。実家の目の前は、壮大な山々がそびえ立ち、夏には蛍も見ることが出来ました。今では悲しいことに伐採により見ることが出来ません。。。

神奈川県を緑・青で装飾しているのは、私が中学時代に所属していたJクラブのチームカラーです。
もうどこだかお分かりですよね???



【小学校時代】

5歳だったか6歳だったときに、父親が2期生として所属していた町クラブに入団します。
私は29期生でした。
小学校3年生になるまでは、サッカーを楽しいと思ったことが実はありません。下手だったから。

父親が作成したリフティングシートと呼ばれるものへの記入が、私の毎日の日課でした。

10回とか、23回とかしか書けない。
全然進歩しないくせに、何を期待してくれていたのか、父はセリエAの古いDVDなんかを買ってきてくれていました。
そのDVDには、ロベルト・バッジオ、バティストゥータ、マルコ・ファンバステンなど、歴代のスーパースターのプレー集が収録されていました。
その中でも、私のお気に入りのプレーヤーはただ一人。ACミランに在籍していた、ジョージ・ウェアという選手だったことを今でも覚えています。

そんな楽しくもないリフティング生活に終止符が打たれたのは突然の出来事でした。
3年生の夏休み。小学校の校庭で、父と弟とリフティング練習をやっていたら、

止まらない!!!ボールが永遠に地面に付かない。

いきなり801回も出来たんです。
ここから始めてサッカーって面白いと思い始めました。

この時から私は飛躍的に上達したと思います。

しかし小学生時代、Jクラブのセレクションは一回も合格したことがありません。何回受けたことでしょう。
毎回、合否通知のハガキは、『今回は残念ながら...。』と書かれていました。

県トレにも入り、サッカー選手という夢を掲げる少年には、非情です。

小学校最後のセレクション。中学3年間を大きく左右するセレクションでした。ジュニアユースに所属できるか出来ないか。今までのセレクションとは比にならないくらいのプレッシャーでした。
実は、最初に受けたのは、東京Vでした。父の大学の先輩がユースの監督をしていて、コネを使って受けました。
結果は散々。周りの選手たちの巧さに、手も足も出なかったです。

その後、湘南ベルマーレのジュニアユースセレクションを受け、2次までは合格通知が続きました。
当時から小田原にも支部をもっていたので、平塚での最終セレクション後に小田原も受けていました。

小田原での1次セレクションが終わったあと、一つのハガキが届きます。
それは最終セレクションの合否通知です。

手が震えたことを今でも鮮明に覚えています。
ハガキを開くとき、一人で確認をしたかったので、自分の部屋に戻って開きました。

結果は、、、。

【この度は、、、合格したことを、、、。】

え?まじ???

飛んでリビングに行きましたね。

こうしてJクラブの下部組織での3年間はスタートすることになります。




【中学校時代】
下部組織に入団した私は、道が大きく開けた!!!とやる気に満ちあふれていました。

しかし、そうは上手くいきません。
1年生の時はほぼベンチ。いつもピッチサイドでビデオ係でした。

他のメンバーはカテゴリーを一つ上の学年に上げたりしていましたが、私は永遠にベンチでした。
身体が小さく体力のない私に、当時のコーチは言います。

『練習後に少しでも良いからグラウンドの周りをランニングしてみろ』と。
私はただただ走り続けました。

結局それでもスタートで出ることは少なく、1年目が終了します。

2年目の夏。2年生にカテゴリーが上がった時には、1年生の優秀メンバーがカテゴリーを上げてきます。
本当に悔しかったなー。

同年代の優秀メンバーは3年生のチームに入って戦っているのに、、、。そんな風に思っていました。


ユースのメンバーが足りないから、中学2年生チームから人を出してくれと、たまたま練習試合後に残っていた私にコーチは、『今から行けるか?』と言ってくれました。

私が決断を下したのは一瞬でした。
『行きます。』

これだけを伝え、ユースの試合会場に向かったのを覚えています。

たった30分の出場機会だけを与えられ、訳も分からず放ったシュートがゴールに突き刺さってしまいました😂

それを目に留めてくれたユースの監督が、『来週からジュニアユースの練習ではなく、ユースの練習に参加してほしい』
目が飛び出るかと思いました。。。

一学年上に昇格したこともない私が、飛び級でユースに合流するなんて。
そこから暫くユースチームに帯同し、時たま自分のカテゴリーの試合に行ったりしていました。

そんな夢のような生活も長くは続きませんでした。

昔の私はメンタルが世界最弱でした。

フィジカルトレーニングが嫌いだった私は、学校生活でのトラブルを言い訳に練習に行かなくなります。

そこからは絶不調。挙げ句の果てには、中学卒業時ユースに上がることも叶わなくなってしまいました。

こうして小学校~中学校のサッカー生活は終止符を打ちます。
今振り返れば、後悔の連続。あのときに戻れるならと今でもたまに思います。

高校ではサッカー推薦で行くことになりますが、ここでもネタの嵐。
サッカー生活を書き続けると、気持ち悪いくらいの文字数になるので、1度ここで終了します。

おって紹介記事の続きを書いていきますね!!!
長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。

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