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まーちゃんの生い立ちと経歴 【大学 1~2年編】

こんにちは。まーちゃんです。

前回の高校編は見てくれましたか?
見返してみたら、相当に薄っぺらい内容でしたねww

今回は、【大学編】
僕にとって最大の転機となった4年間です。

まず最初にお伝えしたいことは、僕は高校でサッカーをやめようと思っていました。
理由は沢山ありますが、

サッカーしか出来ないと思われてた自分が、周りに言われ続けたこと。それは、

『サッカーだけが取り柄じゃん。』

この言葉を覆したかったからこそ、大学ではサッカーをやめ、別の何かで見返してやりたいと思うようになりました。

そう言われ続けた、

この僕が何故、大学でもサッカーを続けたのか。

幼なじみとの一つのエピソードがあります。

幼なじみの彼は小学校からバスケ一筋。

『大学でもプレーしたい。』とずっと言っていました。

『お前はどうするの?』と聞かれれば、

『俺はいいかな。』と僕は返していました。

しかし、

高校3年の時、突然彼から一通のメールが入ります。

『心臓を手術することになった。もうバスケは出来ないらしい。』

僕は飛んで病室に向かいました。
いやー、あのときは焦りましたねwww


病室に到着した僕が最初に見た光景は、彼の笑顔でした。
『来てくれてありがとう。』ニコっ。

心の中で、『なんでこいつ笑ってんだ?』と思いました。

その日は他愛もない話で終わり、『また来るよ』とだけ伝え、病室を後にします。

後日、改めて病室に行くと、今度は深刻そうな顔。
手術日が近くなるにつれ、その顔色は冴えなくなってきた感じでした。

そんな彼を見た僕から出た言葉は、

『俺やるよ、大学でもサッカー』でした。

小学校から一緒にスポーツで奮闘してきた幼なじみに掛けてあげれる、精一杯の言葉でした。


手術の前日、僕は一通のメールを送ります。
内容は定かではありませんが、、、


『少し覚悟が必要だけど、手術するのはお前じゃない。こういう時は、時の流れに身を任せるしかないよな。起きたら生きてるか、死んでるかだ。また会おうぜ。』



なんともくせぇ台詞ですww

でもその時のことを、彼は今でも覚えてくれています。



手術は無事成功しました。


そして、ここから私の大学選びが始まります。

【やるなら本気で】

日大系列の僕には、日大の監督から話がありました。
しかし、当時の日大では学部によっては毎日練習に参加できない学部もあると聞き、行かないことにしました。

その後、父の母校である東京学芸大学の練習に参加。
その時同じ高校から一緒に参加したのが、富樫敬真(現:Vファーレン長崎)です。

実は彼と同級生なんですwww

ただ東京学芸大学のサッカー部に入るには、センター試験をパスしなくてはいけません。

『やめた、やめた!!!』

となり、東海大学の練習に参加します。

高校の監督と、大学の監督が知り合いだったのもあり、残り一枠スライディングして推薦をGET

晴れて東海大学への進学を決意します。




【Try & Error】

大学での推薦組には、川崎フロンターレU-18出身が3名、ベガルタ仙台U-18出身が1名、広島皆実出身が1名、四日市中央工業出身が1名、、、。

日大高校?どこ?ww

同学年で無名の選手は、僕だけwww

みんなは常に世代別代表に入っていたり、中国プリンスリーグ得点王だったり、選手権で準優勝していたり。
輝かしい実績を持つ人間ばかり。

圧倒されましたね。

こいつらとプレーするのか!!!

嬉しさと不安が錯綜した感情を抱いていました。

しかし、まあ推薦組には色んなキャラがいて、頼もしかったのも事実です。
原付で事故って頭がおかしくなった奴(もともとオカシイ)、練習帰りにコッペパンしか食べない奴。
夏休みに教習所通い始めたのに、全然行かない奴etc

全てが今では笑い話ですwww



大学ではCチームスタート。いわば1年生チームからのスタートでした。

その時の僕は、『なんでここにパス出せないんだ!!もっと早く判断しろよ!』と同級生に対して、怒号を浴びせるばかり。

そんな僕をみた監督が、僕を呼び止めます。

『そんな言い方では、誰もついてこんよ。
もっと伝え方を学ばんといけんな。』

『はい。』

悔しかったんですよね。推薦組のほとんどは既にトップチームでプレーしていました。
俺も早くそこに行きたい。。

焦りから周りをみることを忘れていました。

ただ、この時にハッと気づいたことは、
ベクトルの矛先が違うという事。

相変わらず自分にベクトルを合わせることが出来ていないことに気づきます。



そして夏前に、僕はトップチーム昇格を果たします。

ついに来た!!!

しかし、、、。

『やばい、、、凄すぎる。。。』

トップチームにいた先輩で、一学年上のアゴ(ポジション:FW、部屋長兼レイソルユース)と、Jさん(ポジション:MF、前橋育英高校出身)、この二人の才能に悶絶したことは記憶に新しい気がします。

この二人は当時、予想も出来ないパスや動きをします。
そしてドリブル中は、全く前を見ません。後ろを振り返ってばかりいました。

僕の部屋長のアゴは馬鹿でした。原付で事故ったり。
『パチンコで勝ったら今日焼き肉行こうぜ!』って言った日は、負けてきて、
僕の奢りで焼き肉行ったり。


なんで俺が奢んだよ!!!!!!!!!

ってその時は思いましたけどね、今では良い思い出です。


とまぁ、トップに上がった僕の周りには高校時代のスーパースターが勢揃い。

果たして生き残れるのだろうか。

僕は尊敬する先輩たちのプレーを真似ることから始めました。
別の言い方をすれば、『盗む』です。

まず最初に得ようとした技術は、
『前を見ないドリブル』です。

前橋育英の先輩に聞きに行きました。
なんで前見ずにドリブルするんですか?ってww

その時にくれたアドバイスは、
『敵陣に向かってドリブルしてるんなら、前は勝手に見えてんだろ。だから、後ろから突かれないように何回も後ろを見てるんだよ。』って。

なるほど!!!!って感じでした。

フィールドでそんな事まで考えたことのない僕は、真似をし始めました。

出来ないんですよね。。
そんな余裕なんてどこにもありませんでした、、。

何回もトライしてはミスの繰り返し。

色んな工夫をしました。
ドリブルのスピードやタッチ回数、ボールの置き所etc

やっているうちに、僕は後方確認ドリブルを会得します。
レベルアップ!!!

僕は長男なので、兄のプレーをみて学ぶ事が出来ません。
だから、上手い人からプレーを盗み続けることを常にしていました。

特に注力していたのは、オフの動き。

どこにいれば良いか。どのタイミングで動き出そうか。

こうやってトライ&エラーを繰り返し続けたのが、

1〜2年次でした。

次回は3〜4年次を書いていきます。

後半は堕落した大学生活ですww

では、またお会いしましょう!

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