こんにちは。
今回はまーちゃんの生い立ちと経歴の第2弾をお届けします。
本当は大学編も一緒にと思いましたが、大学編が嫌というほど長くなりそうなので、一記事ずつまとめます。
中学時代、J下部組織に入団していた僕には、数多くの高校から推薦の話がありました。
その中で選んだのが、日本大学高等学校です。
理由は、環境にありました。
毎日、人工芝のグランドで練習が出来て、当時はプリンスリーグに所属。(僕が入学したときには県リーグでした)
そして校舎がとんでも無く綺麗!!!
私立ってすげー!!!と当時は思いました。
お子さんにサッカーをやらせている方にも、この高校時代からの経験は、是非参考にしてほしいと思っています。
胸膨らんだ僕には、サッカーを嫌いになってしまった事が人生で2回あります。
何をやっていても上手くいかない。
高校も遠く、夜の23:00に帰ってきては朝の5:00に起きる生活を続けていました。
プツン、、、。
僕は入学早々に、スイッチが切れます。
学校に行かなくなり、
朝も起きれない。
父には朝から叩き起こされ叱られる。
『なんで行かないんだ!!!』と
でも、僕の耳にその言葉が届くことはありませんでした。
学校に行きたくないし、サッカーもしたくない。
いろんな事を調べて、行き着いたのは、サイゼリアの社長さんが中卒だということ。(本当かどうかは分かりません)
僕はそれを知ったとき、中卒でもこんなに凄い人もいる!
何を思ったのか、自分がしていることを正当化していました。自分から逃げていると認めたくなかったのだと思います。
監督やチームの親御さんにも心配される毎日を1ヶ月以上続けたことを覚えています。
今では皆さんにとても感謝しています。
ある日、父に、
『面白い映画がある。
お金あげるから観に行っておいで。』と言われます。
その映画の名前は、
【インビクタス/負けざる者たち】
ラグビーの実話を書いた物語です。
人種差別が飛び交った南アフリカでは、黒人初の大統領が誕生します。
その名前は、ネルソン・マンデラ
彼は、国を一つにするためには母国開催のラグビーW杯で、人種差別を超える為にやるべきことは何かと、選手たちに問いかけます。
僕は映画館で1人、ただ涙しました。
『何やってんだろ。俺』
『みんなは自分に向き合ってくれているのに、
自分に向き合おうとしないのは、俺だけだ。』
僕は映画を観た次の日から学校に行きました。
遅刻してきた僕を見て、教室のみんなはビックリ!!
『おかえり』
それだけで十分な気がしました。
ここからが本当の意味での高校生活でしたね。
高校での生活で一番の実績は、高校2年の時にインターハイの全国大会に出場したことです。
『美ら海 総体』
舞台は沖縄でした。
残念ながら結果は、1回戦敗退。
飛行機の関係で、その後も1週間ほど沖縄に滞在出来たので、一回戦敗退も良かったかもwwwと思っちゃいましたね????
大きな実績と言えば、このくらいでしょう。
その後、最後の高校生活が幕を開けます。
3年になった僕は、常にヘッドコーチとぶつかる日常を繰り返していました。
『練習試合の内容が不甲斐ないから、これから学校に戻って走るぞ。』って言われた時は、
『は?何のために?』と思ったくらいです。
今思えば、ランニングトレーニングが大っ嫌いな私の言い訳です。
その他にも、前半途中で交代させられ、キレてベンチ前のボトルをコーチに向かって思いっきり蹴っ飛ばしたり。。。
他のメンバーよりも優れていると思っていた私は、勘違いをしていることに、その当時は気づくこともありませんでした。
ヘッドコーチとの間に、様々な亀裂を残したまま高校生活は終わりを告げます。
本当に色んなことがあった高校生活でした。
ズラズラっと書いてきましたが、今お子さんがサッカーをしている方には、お子さん自身が持つ解決力を信じてあげてほしいと思っています。
誰かから言われることは、自身にとってヒントでしかありません。
答えは自分の外側ではなく、必ず内側にあります。
判断の繰り返しは人としての成長に繋がっていくと、私は思っています。
フィールドでは全てが自己判断です。誰かに言われてプレーをしているようでは、決して良いプレーは生まれません。
サッカーの良さは、全てここにあると思っています。
時間・場所・状況を見て、自分で判断する。
僕は高校時代に、『判断』という大切な要素を学んでいたのだと心から感じています。
『悩みの天才であれ。悩みのない人生は一つも面白くない。』
byまーちゃん