こんにちは。BodyRulersまーちゃんです????
家紋は丸三つ扇。もうこの世に存在感すらない家紋を持つ一族に僕は生まれました。
この前、バカバカしい記事を書き、そしてこのまーちゃんを皆さんに知ってほしいからこそ、こうまたペン(キーボード)をとります。
僕はお堅い父方と商売っ気しかない母方のもとに1994年1月12日に生きる意義を与えられます。
それは神から与えられるものではなく、我が両親から『こう生きて欲しい。』という想いのもと、この世に生まれ落ちます。
僕の名前、『雅史』は雅やかな歴史を築いてほしい。中山雅史のようにがめつく。だと勝手に思っています。
しかし、生まれながらのまーちゃんに道など、どこにも存在しませんでした。
ただ、言われた通りにすればいいのか。
決められたレールに沿って、ただ使命だと思わされている職務を全うすることが善なのか。
きっと、それがもしかしたら両親にとって正しい道だったのかもしれません。
勉強することが大事なのは分かっていたし、サッカーで親孝行することが学生時代の僕にとっては全てでした。
しかし、そんな情熱はプツンと切れます。
『俺はお前らのためにサッカーをやっているんじゃない。サッカーで成功して欲しいと思ってるのはあなた達の勝手な意見だろ』と
そうやって思いながらも、まーちゃんはサッカーを続けました。
その思いは段々と自分が好きなことにのめり込む大切さを思い知らされたからだと思います。
ボールは常に転がり続け、いつしかゴールへとたどり着きます。
行く先々、寄り道をしながら。
ゴールを奪っても俺の人生、たったひとつのゴール。
ゴールというのは数多に存在します。
僕にとってのゴールはありません。ゴールを目指す過程こそ人生のハイライトだと思っているからです。
死ぬ時、笑って死ねる。
それって一体どういう人生ですか?
誰も知らない黄泉の国は、どんな世界ですか?
極楽浄土って一体なんですか?
無心教だし、正直今生きる世界しか信じていない。
そして、今我が道をゆく自分に絶大な信頼を置いています。
それは良くも悪くも、成功も失敗も自分の責任の上に成り立つ事象であるからです。
このことを現に学ばせてくれたのは、紛れもなく僕の父でしょう。
僕が高校生で私立に通う大変な時期に、父は公務員を辞めます。(いや大学生だったかも。)
あの当時は恐らく心配だったのかもしれませんが、その事すら覚えていません。
覚えていないのは、父に絶対的な信頼感を置いていたからなのかもしれません。
僕は死に際より生き様が大事だとつくづく思うタイプです。
これはこの前、車の中で父にそう話しをしました。
可能性とは人の胸に宿るものでしかありません。
まーちゃんに可能性を引き出してくれたのは紛れもなく父の存在でした。
小さい頃は怒られてばかりで嫌いだった。それでも尚、今仲良くいられるのは父がまーちゃんを大事にしてくれていたから。それ以外の何ものでもないでしょう。
正直、男はいつまでも夢見る生き物なんだなと思います。
父もまた自分の夢を今見ているのではないでしょうか。
まーちゃん一族は夢見心地が1番の快楽だと感じる種族なのだと思います。
成功も失敗も、全てが美しくこの世にはびこる世界です。
ここで一つ、まーちゃんの弟たちの話をさせてはくれませんか。
まーちゃんには2人の弟がいます。
弟たちは世渡り上手です。
(盾があったのは紛れもない事実ですが…)
良く周りを観察し、自分の居場所を探したことでしょう。僕のような一匹狼としてでなく。
話を外しますが、この場を借りた僕から弟たちへの挑戦状。
周りを捉える目は僕の方が長けてます。
なぜなら、僕は赤の他人から盗むしか出来なかったからです。真似るべき存在がいなかった。
弟たちは真似るべき存在が目の前にいたから(調子乗ってるけどね)
僕は長男という類です。
世間一般的に、長男はしっかり者、次男は厄介者という謎の印象はあるでしょう。
しかし、私たちは違います。
父のいたクラブで期待を背負わされ、プロスポーツ選手になることが恩返し。そう思っていました。
長男である私は常に厄介者でした。人に疎まれ続けた人間です。だからこそ、あえて道を外そうと思ったのが事実です。
本当に俺はサッカーしか出来ないのかな?サッカーにしか能がないのかな?と。
そう思ったからこそ、別世界で生きる覚悟をしました。
手本。
これが僕にはありませんでした。小学生時代は先輩に足の速い選手、背が高くパワフルな選手はいました。
けど、僕と同じように背が低く、フィジカル面で弱い選手で真似できるような人はいませんでした。
正直、真似するような選手がいなかったが小学生時代の僕が思ったところです。すみません、先輩たち。
ただ、これには訳があります。
向上心が見えない。たったそれだけです。
僕は自分よりも20cmは高いであろう選手をどうやって突破するか。
昔から戦術は好きでした。将棋とかチェスとか囲碁とか。
これは日本史が好きだから好きになったのでしょう。
時に父と、祖父と将棋を打ちました。
そりゃ大人に叶う訳がありません。
もうきっと父は覚えていないでしょう。小学校5年生の正月、詰んだ私に父はこう言います。
『負けたと思ってる?また1からやってみる?』
と。
(勝てないと諦めてやりませんでしたが…)
しかし、これは僕の今生きる世界の基盤です。
負けてもまた挑戦すれば良いじゃないか。そう今でも思います。
だから失敗してもチャレンジしています。
失敗することは恥ではありません。むしろ今になって思うのは失敗を恐れて何も出来ないことのほうが余っ程恥です。
そんなチャレンジ精神を私に。
芽が出る前から太く長く背を伸ばすようにプランターに植え付けたのが父なんです。
今、私が在る。
存在しているのは自ら考えなければ人に勝てなかった経験と、父に『勝てなくても勝てるように工夫しろ。』そう言われ続けたからなのでしょう。
これは親の心子知らずです。
今、苦境や逆境に立たされていようが折れてはその先は闇
折れずにいれば、誰かが背中に一筋の光を届けてくれます。
諦めるのはまだ早い。
これが僕の父の言い草です。
だから、若者たち。
諦めるべからず。
我が道を行き、そして脚光を浴びよ。