BodyRulersまーちゃんです????
僕が世界で一番好きな映画の一つがコーチカーター
その中にHOPEという曲がエンディングに歌われます。
どんな曲かは上のHOPEと色が変わっていると思うのでYouTubeで確認してください。
希望
希望とは一体なんなのだろう。今、開店祝いで貰った焼酎を飲みながら考えています。
そのままキーボードを打ち続けていきます。
もし、まーちゃんが希望を持っていなければ一体BodyRulersは存在したのか。
それ以前に今のまーちゃんは存在したのか。
なんて考えます。
正直な話をここではしていきます。
まーちゃんは良く「センスで生きてきた。」と言われます。
そう言われる度に、まーちゃんはこう思います。
決してそんなことはないと
高校時代は不登校にもなりました。
サッカーを嫌いになったことが3回あります。
そして、
僕は僕が思い描いた人生を今生きているわけではありません。
本当はプロサッカー選手になって、マンチェスターユナイテッドでプレーしたかった。
僕の部屋には今でもルーニーがいます。
ちょっとブログに埋め込みたいので pic.twitter.com/Q0853uIe1e
— まーちゃん@BodyRulers (@asas_mhi) June 22, 2021
オールラウンダーの彼に憧れた時期、多くの指導者に言われたことは、「完璧を求めすぎだ」です。
しかし、完璧とは人に決められるものではない。
高校時代の監督(ゾノさん)に言われたとき、まーちゃんが返した言葉は
『それでも僕は完璧を目指します。』
でした。
まーちゃんは目標がなんなのか。今でも分かりません。
これは良いことなのか。悪いことなのか。
ソフトバンクの孫社長が言うソフトバンクの未来を語るような、BodyRulersの発展を語ることはありません。
ただ、まーちゃんの希望について話していきたい。誰かに語りかけるわけでもなく自分自身に語りかけるわけでもなく。
略歴については昔々、まーちゃんが始めたブログに記載したことがあります。
18年間サッカーに費やしてきました。サッカーが大好きで、ボールを蹴るその一瞬の感覚にいつも恋していました。
足にボールが当たるその感覚にこそ全てがありました。
それは思いや考えです。
簡単に言えば、1点を奪うために放ったシュートに乗せた気持ちです。入れ!決まれ!と。
しかし、その思いが届くのは奇跡に近い。
シュートを決めた数より外した数のほうが遥かに多いのです。
当たり前ですよね。100回シュートを打って100回入る選手ならもう神より位が高いです。
けど僕はたった1本のシュートに希望(HOPE)を常に乗せていました。
入るか入らないか。それも非常に重要です。
しかし、それよりもチャレンジしたかどうかがもっと重要なんです。
野球部のRYOTAは甲子園、北海道予選決勝の最後のバッター。彼は負けを確信していたでしょうか。
自分が倒れればゲームは終わる。
その状況下で、見逃しをするのでしょうか。
だったら思いっきりバットを振る。かっこ悪くてもその一瞬に全てを詰める。
それが彼の高校最後の打席だったと聞いたことがあります。
それこそ私たちBodyRulersの在り方です。
僕らは、中学時代からお互い部活動に身を置かず各々クラブで活動をしていました。
小学校は違うし、ぶっちゃけ小学校2年生の時にRYOTAにフリーキックを止められた事以外、ほぼ覚えていません。
ただ、記憶に残るプレーだった。
まーちゃんからすれば、あのセーブは漫画の世界でした。
「早くリスタートしてゴールに蹴り込めば、戻ってこれるはずがない。」
そう僕は思っていました。
なのに、ビハインドを奪えなかった。
まーちゃんの人生はRYOTAから始まったのではないかと錯覚を起こすほどに、常にライバルでした。
「俺はプロサッカー選手になる」
「俺は野球選手になる」
どれほど夢を語り続けたでしょう。
結論、叶うことはなかった。
正直、一緒にいた時間など無いに等しい。
高校時代も大学時代もRYOTAは神奈川にいない。
それでも尚、たった一つの約束が僕たちを成長させてきたのです。
なんだよ、クローズみたいな不良映画かよ。
友情物語に何も興味なんてねーよ。と
思ってもらって構わないと思います。
否定する理由もありません。
しかし、RYOTAに男として惚れた、今でも惚れる理由があります。
彼は常に人思いです。
これは僕にない才能。
他人?誰?
蹴落としてでも俺は上に上がってやる。
これは、まーちゃんが学生時代に思っていたことです。
今思えばなんと姑息な考え方でしょう。
でも本気で、
「人のため」
ってなに?
と思っていました。
これは今の大学生に伝えたいのですが、
僕らは気づけば「社会」というRPGに飛び込み、信長の野望課金族に会社員として使われる日々を繰り返します。
油田があるかも!と唆され、穴を掘っては埋める生活です。
その汗水に何の価値がありますか?
この何が楽しいのか。
時代は変わり、
今ではInstagramやTiktokなど個人のブランディングを可視化する時代です。
自分の価値を高められる。
セルフブランディングって響きは凄く良い。
けど、それが誰のためになっているのでしょうか。
自己満?
自己満なら今すぐ辞めるべき。
きっと多くの人がそういうでしょう。
このまーちゃんからすれば、何も考えずにとりあえずバズらせて有名になろうってのが愚行です。
有名になること
有名になりたい。というその考えに何の価値があるのでしょうか。
バズったその先は?
フジテレビに出ること?
馬鹿馬鹿しくて、やってられなくなるよ。
ただ稼げる職業に就きたい。
じゃあプロになれよ。
そう思います。
よく考えてほしいのは、一度バズったとして芸能界に身を置いている人がどれほといるのかです。
以前も伝えたかもしれません。
まーちゃんは今まで自分のためにどうしたら良いかを考え続けてきました。
この考えを変えたのが、
「誰に何を与えられるか。」
です。
第一章となるこの文面。
これは若き日の僕に書いています。
好きなようにやってきた自分に、それでいいんだよ。と。
ジム関係は次回以降に持ち越します。
まずは僕らを知ってください。